2015年2月26日木曜日

42歳で亡くなったホピの元ネイヴィー










昨日出たナバホホピオブザーヴァー誌
の1面に載っていたのは、
今月の12日にフラッグスタッフ

で亡くなった、
ホピの元海軍兵の移送に、

ネイティヴアメリカンのHonor Rider
たちが、フラッグスタッフから、
彼の出身地である、
ホピのモエンコピまで伴走した
という記事でした。




こういうことは時々行われていて、
フラッグスタッフの町中や、
その事実を知る人たちが、
道路脇で星条旗を振る姿を、
ナバホホピオブザーヴァーでも
見たことがあります。










亡くなったのはOrrin Chimerica中佐。

42歳でした。


彼はTuba Cityハイスクールを出て
すぐに軍隊に入り、
13年間、海軍の衛生兵として在籍し、
ボスニア、グアテマラ、アフガニスタン、
イラクで6回に及ぶ
Combat tourを経験しています。


<ツアー>というのは、
(当然<旅行>ではなく)
ツアーオブデューティと表現されますが、
軍隊における勤務、
あるいは在任期間のことを指します。


ツアーの期間は海軍、陸軍、
それぞれ違うみたいです。


いずれにしろ、この人は
13年間にわたり、1回がどのくらい
の期間だったかはわかりませんが、
6回も戦場に派兵されていたわけです。


彼のお父さんは家族の中で初めて
アリゾナ州立大学と
この町にある、北アリゾナ大学で
学び、Tuba Cityの中学で数学を
教えていたそうで、


息子さんには、学業を続けて、
コミュニティに戻って、
それを役立てるようにと
話していたそうです。


記事では、亡くなったオリンさんは、
自分も患っていた、PTSDの人たちへの
カウンセリングスキルで、
北アリゾナでは注目されていた
ということです。


私には軍隊のシステムについての知識
は全くありませんが、
それでも、たとえ衛生兵としてでも、
6ツアーはすごい回数だと思います。



どれだけの修羅場を目にした
ことでしょう。


彼がPTSDに悩ませられるのは
当然のことでしょう。


どういう理由で亡くなったのかは
記事では触れられてはいませんが、
まだ42歳。


アラスカにいた時に知り合った
日本人女性の息子さんは、
ヴェトナム戦争に行き、
戻ってからお酒を飲み始めて、
だんだん強いお酒にはまり、
私が知り合った当時は、

彼の元兵士の友人と、
昼間からウォッカを飲んでいました。


アルコール中毒でした。


アラスカからロサンジェルスに戻って
しばらくして、
彼が亡くなったことを知りました。




釣りに詳しく、とてもやさしい人でした。


戦争は戦場にだけあるわけ
ではないと言ったのは誰だったでしょう。


フラッグスタッフのような
アメリカの田舎町に住んでいると、
戦争や軍隊や兵士が身近過ぎます‥‥。





私たちが行っているジムの
向いは、ミリタリーのリクルート
センター。


アメリカ政府のナンバープレート
をつけた車がいつもいっぱい
停まっています。


ズンバのインストラクターの
スージーの息子さんは
かつてアフガンに従軍していて、
元スナイパー。


月曜日のTRXとH.I.I.T.のクラスを
教えるレイチェルのボーイフレンドは
フロリダで、
爆弾のスペシャリストになる
ための学校に行っています。


だから彼女も、4月には
フロリダに行ってしまうのです。


でももしかしたら、そういう「臭い」
を感じなかったのは、
移民だらけ、人種が入り混じった大都会
のロサンジェルスだった
からかも知れません。


それか、私には単にそういうのが、
見えていなかっただけなのか。



いつの世も戦争はいやです‥‥。



PEACE!
























2 件のコメント:

  1. 最近の日本の政府は自衛隊を軍隊として海外の戦地へ派遣できるような仕組みを作ろうとしているので、かなりキナ臭くなって来ています。

    家が自衛隊の駐屯地の付近にあるせいか噂で実弾を使った対人の戦闘訓練を最近自衛隊の中でやり始めた等聞いていてとても恐ろしいです。

    それに軍用ヘリの数も前より増えたような気がしています。

    東京等の都会にいる人は自衛隊が少しづつ権力者によって歪められていることに気づいていなくて不安ばかりですが平和を祈っています・・・。

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  2. ここぺりさん、コメント、ありがとうございました。

    確か、養老孟司さんが「憲法9条はたとえアメリカから押し付けられたものであるにせよ、日本は戦死者をここ何十年も出していない」というようなことを書いていらっしゃいました。

    最近の日本、確かにキナ臭いですよね。

    「‥‥国家が人を殺す、戦争を起こすことが、日本以外の国では中国だろうがアメリカだろうが、基本的には認められている。それは本当はまずいことなのだということだけは、戦争の被害者だからよくわかっています」<超バカの壁>より。

    このホピの中佐も、戦場で死んだわけではなくても「戦死者」であることに変わりはないでしょう。

    この町ではあちこちで見かけますが、迷彩服のミリタリーの人を見たら、私なんか、一瞬体が固まります。

    「よその国」で戦争をし続けて、おそらくどこの国よりも「戦争映画」を作り続けているアメリカの後を追っかけていては、日本はだめだと強く感じます。

    「花はどこへ行った?」の歌詞ではありませんが、近い将来、若い男子たちが戦場に駆り出される画だけは想像したくありません‥‥。



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